早野組

HAYANO みなさまとともに歩み百三十七年。

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明 治


早野金蔵 26歳の時に早野組創業

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中央本線笹子隧道(笹子トンネル)の掘削工事着工

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中央本線笹子隧道(笹子トンネル)完成
甲府市緑町55番地に早野組事務所開設

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「明治40年の大水害」による中央東線水害応急工事請負
甲府四十九連隊関連工事請負

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「明治40年の大水害」による笛吹川河流変更工事着工

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釜無川開国橋工事竣工

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「甲府市川大門線」に架かる荒川千秋橋完成


国道八号線(国道137号線)新設工事着工

大 正


「甲府東光寺温泉芳の湯」開業(昭和元年)に「三樂荘」に改名

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早野金蔵が神奈川県小船から山梨県
西山梨郡里垣村 東光寺1958番地に本籍を移転


玉幡競馬場建設工事請負(甲府)

昭 和


山梨県土木建築請負業組合の初代会長に早野金蔵 就任

早野金蔵逝去(享年72歳) 酒折郵便局が開局され局長に早野欽介就任


甲府小運送自動車株式会社取締役に早野欽介就任


甲府通運株式会社設立


甲府市橘町1番地(現丸の内2丁目4番)に株式会社早野組を設立し、代表取締役に早野欽介就任(2代目社長)
資本金100万


建設大臣登録(ト)第3274号


資本金400万に増資


山梨県建設業協会副会長に早野欽介就任


飯田営業所開設


本社を甲府市東光寺へ移転


資本金1250万円に増資
代表取締役に大橋一良就任(3代目社長)
八田村(現南アルプス市)に八田アスファルトプラント設立

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改修工事後の八田アスファルトプラント(昭和50年)


島根営業所開設


代表取締役に青柳佐八郎就任(4代目社長)


飯田営業所を中部支店へ昇格


代表取締役に平山銑一就任(5代目社長)
資本金2500万円に増資


静岡営業所開設


代表取締役に早野潔就任(6代目社長)
資本金4000万円に増資
身延アスファルトプラント開設
株式会社早野組社報発刊

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株式会社ロード設立
本社安全衛生委員会発足


電算管理室起工式 資本金6000万円に増資

電算管理室にコンピュータ導入
八田アスファルトプラント改修


岐阜営業所開設


資本金1億2000万円に増資
株式会社早野組協力会結成
第1回早野組ソフトボール大会

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富士吉田営業所、松本 営業所開設


山形営業所開設(長野県)


株式会社ハヤノ通商設立
代表取締役社長に早野潔就任


東京営業所開設


損害保険代理店業開始

トヨタビスタ山梨株式会社設立
代表取締役社長に早野潔就任

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東京営業所を東京支店へ昇格


長野支店開設


営業強化推進方策COIN作戦スタート 第1回早野組協力会安全大会開催
日本海中部地震視察
本社住居表示が甲府市東光寺1丁目4番10号に変更


創立30周年記念式典挙行
(山梨県民会館小ホール)


工務部設置 工務部、電算管理室、経理課、安全課を統合して企画 管理本部設置


東京支店八王子出張所開設

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社報98号よりカラー印刷で発行(年4回)


日本電信電話株式会社(NTT)と業務取次店契約 締結
早野組開発本部とトヨタビスタ山梨に住宅事業部を設置
トヨタホーム山梨として不動産業参入


中部支店新社屋建設
駒ヶ根営業所開設


二代目社長早野欽介逝去(享年75歳)
福利厚生施設「株式会社早野組 山の家」開設


多摩営業所開設

平 成


提案制度の設置

トヨタホーム山梨(株)設立 資本金1億8000万円に増資 早野組創立35周年記念式典挙行
記念パーティー開催


岐阜営業所設立20周年


早野組キャッチフレーズが「真心と確かな技術」に決定

早野潔社長が(社)山梨県建設業協会第18代会長に就任 本社新社屋建設起工式挙行


早野組新社屋竣工
業務を開始

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HAT G(早野組協力会会員後継者の会)発足


清里の森に社員保養所「MUH HEIM」完成
景観舗装マット「エコメロウマット」開発、製品化

雑誌「MUH」を創刊


東京支店新社屋起工式
新宿営業所開設
駒ヶ根営業所移転


阪神大震災視察


身延アスファルトプラント改築 八田アスファルトプラント改築社員による地域清掃が開始 舗装構造ならびに舗装用板状部材および舗装工法で特許取得
レジモルキャップ商標登録
ISO9001推進会議発足式 阪神大震災被災者支援参加


ISO社内学習会実施 ISO9001に基づく品質システム運用開始

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静岡営業所移転


ISO9001認証取得


株式会社ロードが早野グループに加入
新宿営業所を閉鎖

技術管理室設置 早野潔社長が(社)山梨県建設業協会第21代会長に就任
株式会社やさしい手甲府設立
創立45周年記念式典挙行(アイメッセ山梨)
課長職以上の年棒制度の導入
VE推進委員会の設置


廃タイヤカーボンのアスファルト混合物への添加を試験実施

ISO14001(環境)認証取得キックオフ宣言 株式会社ハートフルスタッフ設立


ISO14001環境マネジメントシステム運用開始 ISO14001環境マネジメントシステム認証取得


品質マネジメントシステムの国際規格「ISO9001」を2000年版に移行


グリーンヒル愛宕販売開始
新退職金制度(確定拠出年金)

ISO9001に八田アスファルトプラント、身延アスファルトプラントを追加

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南アルプス営業所開設


品質・環境推進委員会発足

技術本部部技術部新設 トヨタビスタ山梨からネッツトヨタ甲斐(株)に社名変更


神田営業所開設


創立50周年記念式典挙行
記念パーティー開催
早野潔が黄綬褒章を受章

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東京支店安全協議会発足
「ISO14001」を2004年版に移行

環境事業部を設置し環境ビジネスに本格参入


環境活動の一環としてプロジェクト本部屋上に屋上緑化を施工


新宿営業所開設
神田営業所閉鎖


ISO品質・環境トップマネジメントが早野正泰常務取締役に交代


社報183号で廃刊 鉄道事業部(JR関連)、道路事業部(中日本高速道路関連)設置 グループ社内報WinWin(年2回)発行


中部支店、静岡営業所、岐阜 営業所、南アルプス営業所移転


早野組「安全シンボルマーク」制定
ウッドメロウ舗装の開発

経営者による「5Sと環境パトロール」実施 資材部を閉鎖
モータープール移転
創立55周年記念式典挙行(アピオ甲府吉兆の間)


「ISO9001」を2008年版に移行


中部支店創立50周年記念式典・祝賀会挙行


営業本部不動産事業部が早野リバブルに名称変更


甲府市中道町に「甲府南ソーラーパーク」完成 早野正泰7代目社長に就任。早野潔会長就任

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県下大雪害のため除雪復旧に尽力 早野グループ女性委員会本格始動
広報誌「七味同心」発行
合同会社早野ソーラーパートナーズ設立
創立60周年記念式典挙行
「基本理念」および「社員心得10カ条」発効


南アルプス上今諏訪に白根合同事務所開設
「ボトムアップ~意見・提案」がスタートし、無事故・無災害を達成するための統一標語作成

里垣自治会連合会、甲府市と災害協定の締結 早野潔会長が旭日小綬章を受章

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「ISO9001」と「ISO14001」を2015年版に移行

熊本地震発生 早野グループで救援金支援 早野組優良職長制度「早野マイスター」の導入 半日有給制度の運用開始


南アルプス営業所閉鎖


創業130年記念祝賀会を挙行
新宿営業所を移転
早野リバブルを移転

令 和


早野組朝気社員寮を開設


新型コロナウイルス対策室を設置 早野グループ献血活動で厚生労働省大臣感謝状を受領


早野組朝気寮を閉鎖
早野リバブルを移転
身延プラントを閉鎖

山梨県新型コロナウイルス感染症医療従事者応援募金への協力に関して紺綬褒章を受章


静岡営業所を移転
岐阜営業所を閉鎖
身延町下山に峡南事務所を開設


早野グループ祝賀会~株式会社早野組創立70周年(創業137年)ネッツトヨタ甲斐創立45周年~を挙行

代表取締役会長 早野 潔

代表取締役会長
早野 潔

多くのお客様と関係各位のご支援のもと株式会社早野組は初代社長早野金蔵による明治20年の会社創業から130年の節目を迎えることができました。心より感謝申し上げます。昭和47年に6代目社長として就任した当時、私は30歳でした。大学の建築学科を卒業後、大手建設会社に勤め、家業を継ぐべく山梨に戻りました。経営者としての歩みを進める中で本当にありがたかったのは支えてくれる「人」が周りにいたことです。いかなる時も内外の人脈が早野組を支えてくれました。先代方が残してくれた「人」が今の早野組の基盤となっています。明治・大正期の政治家の言葉に、財を残すは「下」、事業を残すは「中」、人を残すは「上」という言葉があります。「企業は人」とはまさしくその通りです。また先代方は「人」以外にも多くの経営資源を残してくれました。父である2代目早野欽介は、今日の早野組の礎を築きあげながら、自然に親しみ、鳥や花を愛し、釣りや俳句といった多岐に渡る分野において非凡なる才能を開花し、幅広い人脈形成を行いました。3代目大橋一良は、父欽介の片腕となり地元山梨に根を下ろす会社づくりを行い、4代目青柳佐八郎は、建設省関連の営業の先駆けとして尽力し、5代目平山銑一は、それまで土木が主だった早野組に建築の基礎を築いてくれました。社是である「和」は人であり事業であります。人の「和」を拡大し、事業の「和」を拡大してくれました。6代目として先代方から引き継いだ「和」の拡大を図るべく尽力した成果の一つとして早野グループがあります。異業種でありながら互いに尊重し敬い、切磋琢磨しながら成長しあうグループ各社。理想のグループ会社の関係性です。人を育てるのは人です。多くの出会いが個人の器量を大きくし会社の成長を促します。将来に亘り早野グループの存在は必ず互いの相乗効果を生み出します。社員の皆様には向上心をもって社業に従事していただく様お願いすると共に、私自身も更なる高みをめざし日々勉強していく所存でございます。

今回の創業130年にあたり「温故知新」という言葉を残します。過去の事実を知り、そこから新しい知識や見解をひらくという意味です。今日の当社の基礎を築いて頂いた全ての関係者の皆様とそのご家族に敬意と感謝の気持ちを抱きつつ、早野組が益々発展し、次代に繋がるよう私も努力を止めません。皆様も一丸となり7代目早野正泰社長を支え、早野組を愛し、ともに歩みを進めていただくことをお願いし、ご挨拶に代えさせていただきます。

代表取締役社長 早野正泰

代表取締役社長
早野正泰

株式会社早野組は、多くの皆様のご支援をいただく中で創業130年(創立63周年)を迎えることができました。厚く御礼申し上げます。『地域に根ざした総合建設業として、社会資本の整備と公共の福祉に貢献することにより、社是「和」の下にお客様・社員・パートナー会社などすべての関係者の幸せを達成すること』を経営理念とし、真心と確かな技術で常にお客様に満足していただける製品を提供してきました。創立60周年を迎えた際には、全社員が会社を愛し、相互に感謝し、誇りと責任を自覚し、自己啓発に努める中で「会社は人なり」を実践し、会社の永続的発展に尽力していただきたいという想いを込め社員心得10カ条を制定しました。

今回、創業130年にあたり、早野組、早野家の歴史に触れ、先人たちの偉大さ、早野組という看板の重さを痛感し、経営者として「継続」していくことの重要性と難しさを改めて考えさせられました。進化論の考え方に「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、最も変化に対応できる者である。」とあります。企業が継続発展していく為には時代の変化に柔軟に対応し、積み重ねの上に新たな価値を創造することが必要だと考えております。具体的には先人たちが築いてくれた意思積みの上に私達の意志を重ね、次代へと継承できるよう努力を続ける決意です。社員の皆様にも多くの経験を積み重ね成長してほしいと考えております。成功体験は自信を与えてくれ、失敗体験は反省と改善を自分自身の財産として残してくれます。また失敗は他人の失敗から学ぶこともできます。現場での安全管理も同様に、多くを学ぶことで事前に予防できます。松下幸之助さんの言葉で「師をそのまま模倣するだけでは師以上にはなれないけれど、その考えをよく吸収消化して自ら励んでいけば、師以上の人物になれるかもしれませんね。」とあります。自らの成功体験と失敗体験、先人たちの良い点と悪い点から学び仕事に生かす。そういった意味でも今回の周年は歴史を知り、新たな歴史を築いていく決意を再燃させてくれました。

これからも私一人の力ではなく、役員・社員・関係者の皆様と力を合わせ「和」をもって早野組を邁進させていきます。今の私達が次代に託せる仕事をすることが今日までご支援いただいた皆様への感謝だと考えております。ご支援いただいた皆様に厚く御礼を申上げると共に今後もご支援ご鞭撻をお願いし、挨拶といたします。

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